個人的な思い出に終始することになるだろうことを、あらかじめお断りしておきたい。村上芳正が装幀と挿絵を担当し、製本直前まで行っていた愛蔵特装本『薔薇館の神々』の刊行が雲散霧消した事情について、私がここで書く機会を与えられたのも、すべては個人的な思い入れの連鎖によるものなので、そうした経緯を抜きにして、一連の顛末を語る気にはなれない。読者諸賢のご海容を乞う次第である。
事実を客観的に記すだけならば、ほんの数行で事足りる。
北原綴(きたはら つづる)という「童話作家」が初めて刊行した風俗小説『薔薇館の神々』(創林社)。その愛蔵特装本が刊行されることになり、北原の指名によって、その装幀挿絵を村上芳正が担当することになった。村上はすべての仕事をなし終え、束見本も完成し、刊行予告の新聞広告までが出た。しかしその直後、北原綴こと武井遵(たけい じゅん)の犯した、偽札作成投棄事件と強盗殺人事件が発覚し、事件に関わっていた『薔薇館の神々』の版元である創林社の社長までが逮捕されるにいたり、愛蔵特装本『薔薇館の神々』の刊行は、一瞬にして雲散霧消してしまった。これがすべてである。
事件そのものの中身については、下記のサイトなどに詳しくあるので、ここでは繰り返さないでおく。また北原綴こと武井遵の犯罪については、佐木隆三のノンフィクション『恩讐海峡』(1992年・双葉社)のあったことだけ記して済ませる。
・北原綴とは - Weblio辞書
・和D-14号・宝石商殺人事件
・上野宝石商殺人事件
『薔薇館の神々』は、謎めいた美少年磯村薫と、彼をバンドボーイに雇った売れないバンドリーダーの青年(一人称の語り手)を中心に展開する風俗小説。一種の青春小説である。
本書の刊行は、日本における90年代ゲイ文学ブームや現今のBL(ボーイズラブ)小説・マンガブームなどに、はるかに先駆ける昭和61年(1986年)のこと。当時、こうした「少年愛」や「(男性の)同性愛」を扱った長編小説と言えば、雑誌『JUNE』を舞台にして活躍した先駆者栗本薫の諸作が挙げられる程度であったが、日本におけるこのジャンルの発展は、小説よりもむしろ、竹宮恵子(現在は、惠子)の『風と木の詩』、萩尾望都の『トーマの心臓』『ポーの一族』、木原敏江『摩利と新吾』、山岸凉子『日出処の天子』といった、70年代から80年代初頭にかけての少女マンガによって領導されたものと見るべきだろう。
ともあれ、『薔薇館の神々』刊行の前年(1985年)に、栗本薫が「啓蒙」を意図としたのだろう、同性愛小説アンソロジー『いま、危険な愛に目覚めて』(集英社文庫・村上芳正装幀)を刊行していたことからもわかるように、まだまだ読者の期待できなかった時期に、ほとんど無名であった北原綴は、この異色作『薔薇館の神々』を世に問うたのである。
さて、肝心の『薔薇館の神々』の小説としての出来なのだが、これは決して悪くはない。内容的に一般受けはしないだろうし、ある種、悪趣味な部分が無いとも言えないけれど、作者の複雑な内面が織り込まれた、独特の雰囲気を持つ青春小説、しかもそれが親ゆずりの文章力で書きつけられている。事件発覚後の評価でも、北原綴の文章力は、なべて出版関係者も認めるところであった。ちなみに、「親」とは、「知日派韓国詩人」として知られ、日本語の著作も少なくない、金素雲その人である。
今となって北原綴の作風を分析的に評価するならば、それは「アンビバレンツな精神の複雑骨折」とでも呼ぶべき様態、ということになるだろうか。
『薔薇館の神々』に先行する童話集『山のメルヘン 木の実 ふる里』(創林社)は、刊行された1985年の全国学校図書館協議会と日本図書館協会の選定図書に選ばれており、それが納得のいく、心洗われるような童話集に仕上がっている。しかし、この童話集にも、独特の「影」はさしていた、と今なら言える。ある種の「寂しさ」や「喪失感」が色濃く漂っており、また、そうした叙情感がこの作品を「本物」にしてもいたのだ。
『薔薇館の神々』に話を戻すと、この作品にも、作者の「純粋希求」と「破壊衝動」の両面が複雑に絡み合って表現されており、作者自身をモデルにしたとおぼしき語り手のバンドリーダーの青年の語りからは、にわかに作者自身の本音の在処を、うかがい知ることはできない。ある時は、きわめて誠実潔癖な正義感を吐露するのだが、しばらくすると、それを否定するような諦観と冷笑的な現実主義を口にする。もちろん、小説なのだから「そのように作られているんだろう」と言ってしまえばそれまでなのだが、私の印象では、決してそんなことではなく、むしろこれは作者自身の内面の葛藤がそのまま反映されたものだと思われてならない。つまり、北原綴こと武井遵は、決して単純な「狂気の殺人鬼」などではない、ということなのだ。彼の中には間違いなく「純粋さを希求する心」がある。しかし、その反面、そんな自身の甘い心をあざ笑う「冷酷かつ破壊的な現実主義者」も同居している。この、まったく相反するところの「天使と悪魔」がシーソーゲームをくりひろげ、最後は悪魔が勝ってしまう。それが、北原綴こと武井遵という人間であり、作家北原綴の個性なのだ。また、こうした複雑微妙な内面を文面に移すだけの技量を持っていたからこそ、北原は決して二流の作家ではなかった。下手な流行作家などよりも、はるかに深い、そして暗い何かを彼は確かに抱えていたし、だからこそ若い私は、この作家のこの作品にぞっこん惚れ込んでしまった。生まれて初めて小説家にファンレターを書こうとして挫折し、愛蔵特装本が出ると知って驚喜し、予約募集を行っていなかった出版社に代金を先送りして、熱心なファンとして、世間に先んじて唾をつけたつもりでいたのである。
さて、掲載紙および掲載日の記録はないが、私の手元にある新聞の切り抜きを見ると、『薔薇館の神々』愛蔵特装本の刊行予告は、『薔薇館の神々』につづく長編小説の第2弾である『美少女奇譚』の刊行広告の横に添えられる形で掲載されており、『限定百二十部 定価二万八千円』『三月下旬刊!』となっている。『美少女奇譚』の刊行が昭和62年・1987年2月だから、この新聞広告は同年の1月下旬または2月に掲載されたものと思われる。
この広告には『村上昂=装幀・装画』(※村上昂は、村上芳正の別筆名)とあり、一目見て磯村薫だとわかる「薔薇の鉄索に囲われた美少年」の絵が掲載されていて、広告全体の大きさは縦17×横29センチと、弱小出版社のそれとしては破格に立派なものだった。だが、あとで考えてみれば、もうこの当時、北原綴こと武井遵の犯罪の片棒を担がされていた創林社社長の宮西忠正は、北原のいいなり状態だったろうし、広告費の出所も北原自身の汚れた金だったのだろうと推測される。ともあれ、後に北原綴こと武井遵のうった事件であることが判明する一連の事件の一角が、初めて世間に露見したのは、同年の4月6日。この日の『サンケイ新聞』は第一面で『ニセ1万円札4億円分・東京』『ゴミ収集場で発見・港、北区』などの見出しをつけて、その第一報を報じた。そしてその後、印刷業者の男性が逮捕され、続いて創林社社長宮西忠正が逮捕され、愛人とともに逃避行を続けていた北原綴こと武井遵は、同年4月13日ついに逃亡先で逮捕された。
したがって、『薔薇館の神々』の愛蔵特装本の3月下旬刊行は実現しなかった。そんなことをしていられるような状況ではなかったのだが、刊行を一日千秋の想いで待っていた私は、そうとは知らずに4月の初旬に創林社に電話を入れ、問い合わせをした。その時に電話に出たのが誰なのか、もしかすると宮西社長だった可能性もあるのだが、いずれにしろこの時の回答は「申し訳ありません。製本作業が遅れております。今しばらくお待ちください」というような返事だった。そして、北原綴こと武井遵の犯罪が発覚し、宮西社長と北原が逮捕された後に電話してみると「今は本を動かせない状態にあるので、申し訳ありませんが、今しばらくお待ちください」という説明があり、その次に電話したときは、もう電話は繋がらなかった。もちろん、先に払い込んでいた代金が返ってくることもなかった。
しかし、私はお金が惜しかったというようなことで、この一件を顧みたことはない。ただ、ほとんど完成していたであろう愛蔵特装本が、事件のために裁断されたであろうと推測し、それを惜しいと思い続けた。そして、村上昂の原画は「村上に返されたのだろうか? それとも事件のドサクサにまぎれて散逸してしまったのだろうか?」などと、長く気を揉んでいたのである。
それから、おおむね四半世紀の時が流れた後、私は思いもかけず村上芳正その人に直接お会いする機会を得た。正直、かの村上芳正がご健在だとは、想像もしていなかった。もちろん、お会いして真っ先に尋ねたのが『薔薇館の神々』愛蔵特装本用に描き下ろされた作品の所在だが、幸いなことそれらはすべて画家に返却されており、自宅に保管されてあるというお返事だった。それなら、いつかその作品が日の目を見ることもあるだろうと胸を撫で下ろしたのだが、昨夏、ふたたび村上のお話をうかがう機会があった際、村上は私のために、『薔薇館の神々』愛蔵特装本の束見本と装画および挿画の原画をすべて持参して下さった。もちろん、それらはいずれも、期待以上のすばらしい出来だった。
私は『薔薇館の神々』愛蔵特装本をあらためて出版することは出来ないものか、それが無理ならば、せめて村上新装版で単行本の復刊はできないものだろうかと考え、出版関係の仕事をする友人に打診してみたが、現在の出版不況下ではおそらく難しいだろうという厳しい返事で、村上・北原双方のファンとしては、無念と言うほかなかった。
しかし、村上の絵そのものは、いずれ何らかのかたちで世に出ることになるだろう。このホームページに掲載させていただくのでは、あまりにもったいない。村上芳正の未発表作品は、それに見合ったもっと華やかな舞台で、賑々しくお披露目されてしかるべきだ。そして、この考えに賛同してくれる熱心なファン、愛好家には、かつての私のように、その日を一日千秋で思いで待っていただくしかないだろう。「待てば海路の日和あり」。四半世紀近い時間を隔てての思いもかけぬ再会だって、現にあったのだから。
2010年5月12日
※金素雲(http://ja.wikipedia.org/wiki/金素雲)
※『薔薇館の神々』の主人公である美少年の名は「磯村薫」(一人称の語り手ではない)。当時の「美少年小説」では、しばしば美少年主人公に「薫」という中性的な名前が与えられており、作家栗本薫の名前もまた、自作『ぼくらの時代』の語り手主人公の少年と同性同名である。『薔薇館の神々』に先行する作品、橋本治の小説『桃尻娘』には、主役ではないけれども、中心的な登場人物の一人として美少年的なキャラクター「磯村薫」が登場する。北原綴もこの小説を読んでいただろうと、私は推測している。
また、1994年に刊行された森内俊雄の『谷川の水を求めて』(河出書房新社)に登場する美少年も「磯村薫」だったように思うのだが、確認はとれていない。ご存知の方があれば、是非ご教示願いたい。