プロフィール

村上芳正インタビュー なつかしい『幻影城』

 『幻影城』、ホントウになつかしいですねえ。

 僕は長崎の出身なんです。東京に出てきて、最初は演劇をやっていて、絵のほうはまったくの独学です。小さなアパートで自分なりの絵を描いて、二科展に連続して入選していたころ、文学座公演(三島由紀夫『十日の菊』)のポスターを描くことになったんです。演出家の松浦竹夫さんの紹介で、三島さんにお会いしました。当時の三島由紀夫といったら大スターです。でも、三島さんていいとこのお坊っちゃんでしたから、僕みたいな人間が珍しかったんでしょう。それから三島さんによくしていただいて、新潮社の仕事をずいぶんしました。三島さんの最後の『豊饒の海』なんかは、資料がどっさり送られてきて、三島さんの凝りようもたいへんでした。

 島崎さんは三島さんの書誌もつくられていますよね。そんなこともあったのか、『幻影城』にお声をかけていただきました。島崎さん、一度だけ吉祥寺の僕の家まで来て、話し込んだことがあるんです。三十分ぐらいなんて約束だったのに、話がはずんで二、三時間ぐらいいらしたんじゃなかったかな。やっぱり海の向こう、台湾の方だからでしょうか、とても懐が広くておおらかな、気持ちのよい方だったです。

 僕はそれほど『幻影城』に描いているわけではないんですが、印象に残る仕事が多かったです。カラーページで僕の特集を組んでくれたのも、『幻影城』だけなんです(註:『幻影城』一九七八年六-七月号)。あのころは忙しかったけど、自分なりに一生懸命、仕事をしていました。犬や猫、鳩を飼って、キング・クリムゾンやジョルジュ・ムスタキに夢中になってたころです。

 イラストを描かせていただいた方では中井英夫さん。ちょうど特集のとき、「殺人者の憩いの家」が載って、描かせていただきました。中井さんとは昭和三十年ごろ、一度だけお会いしてるんですが、そのとき以来でした。お電話をいただいて「懐かしいねぇ。そのうち一度会いましょう」ということだったのが、それっきりになってしまいました……。特集のときは日影丈吉さんにいいご文章をいただきました。日影さんは作品集の装幀もさせていただいたのですが、日影さんも亡くなられましたねえ。

 それから連城三紀彦さん。「藤の香」という短篇に挿絵を描かせていただき、『幻影城』がなくなったあとも、講談社で単行本、文庫本と装幀させていただいて、ああ、一度、連城さんも講談社の方と一緒にウチまでいらっしゃったことがありました。

 僕はこれまで原画を展示したこと、一度もないんです。今回、「幻影城の時代展」でいろいろな方と出品させていただけて、ちょっとうれしいですよ。それに僕なんかにも熱心なファンがいたことが分かって驚いてます。

 あれから膨大な年月が流れました。でもけんめいな日々でした。「君 過ぎし日に なにおかなせし」です。無性になつかしい、そして呆然としています。ここ数年、私生活のほうで時間をとられてたんですが、なんだか昔のことを思い出して、力をいただいたように思います。日々新たに前進です。

『幻影城の時代 完全版』(講談社)より転載